●月刊運転管理 2000年 12月号 vol.36
懐かしい2人の友に先立たれて
11月6日に、2つの葬式が重なった。どちらも僕が40年おつきあいをしてきた大事な友人だった。
1人はイラストレーターの真鍋博さん。もう1人は、東京・飯倉で鴨料理店をやってきた赤羽通重さん。
赤羽家は、皇室流の鴨料理を継ぐ名家だが、彼は火縄銃の名手であり、有名な収集家でもある。科学技術者として敗戦前から保土谷化学に勤務し、戦後は労働組合の委員長として会社と渡り合い、争議は1年以上続いた。ついに労使は疲れ、社長と赤羽さんが一緒に辞めることで、争議は終結した。
そして赤羽さんは姉さんに頼まれて、料亭を継ぐことになる。赤羽さんは、料理修行の間に、いつの間にか火縄銃やその付属品を探して地方を歩き、出先で借金をしながら買い集めてきた。
そのうち110点の銃と付属の具足などを、銃撃戦対策に力を入れた信州松本城に寄付した。
一方で日本代表として、2年に1度行われる火縄銃の国際競技会には欠かさず出場し、数々の賞を得てきた。日本の火縄銃博物館としては、松本城は最大の施設になった。
また歴史にも興味を持ち、1543年頃中国の海賊船が種子島に漂着したとき、ポルトガル人が持ってきたという火縄銃は、ポルトガル製ではなかったという説を出した。赤羽さんはポルトガルまで調べにいって、当時のポルトガルには、銃製造の技術がなかったことを確かめた。その銃は、マラッカあたりのものではなかったかと論文を書いている。
まだまだ赤羽さんの新発見の業績はあった。一方、真鍋さんが、ガンで倒れた病床で、次男にこんなことを漏らした話を聞いた。
真鍋さんは突然次男の由さんに声をかけた。「緑の絵の具がほしい」。夢うつつの状態だったようだ。続けてこんなことをいった。「地球が消えたあとの宇宙を書きたいのだ」。会話はそこで終わり、再び昏睡状態に入ってしまったという。
二人の友の冥福を祈る。
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